経営者歴23年。500件以上の支援実績を持つ現役経営者。資金ゼロ・リストゼロからSNSで年商1億3,000万円を達成した経験をもとに、在宅ワーク×AI×SNSを掛け合わせた実践的な働き方を伝える。TPS(在宅ワークスクール)主宰、FEA(女性起業家支援協会・登録者約2,000名)発起人。著書「確実に月10万稼げる『令和の内職』SNSサポート副業」(大和出版)。
サービス残業月に200時間。
週に2.3日は会社に泊まる。
椅子3つ、つなげて寝る。
手取りは月17万円。
それが会社員時代の私です。
テレアポで新規のお客様を探す。
企画書を書いて、営業に行く。
受注したら、スタッフを手配して、制作して、納品する。
「全部自分でやっているなら、会社の看板いらなくない?」
そう思って独立してから、早23年になります。
今は在宅ワークスクール【TPS】と、女性起業家支援協会【FEA】を主宰しています。TPSは250人以上、FEAは2,080人以上の方にご参加いただいています。
制作の仕事も続けていて、23年間で人にお願いしてきた仕事は、ざっくり約3億5,000万円。
そのうち、2022年11月に始めたスクールの受講生さん・卒業生さんへの発注が、累計で約6,000万円です。
こう書くと、ずっと順調に仕事を増やしてきた人みたいですが、そうでもありません。
独立直後の口座残高は数万円。翌月の収入見込みなし。
納品したのに、お金を払ってもらえなかったこともあります。
震災で仕事が複数なくなり、妊娠中にはパソコンすら開けなくなりました。
結婚、出産、離婚、シングルマザー、そして再婚。
仕事のやり方も、暮らし方も、何度も変わっています。
仕事はできるようになった。お金も稼げるようになった。
それでも、自分の気持ちを後回しにして、うまくいかなくなったことが何度もあります。
今日は、仕事の実績だけでは分からない、そんな私の話もさせてください。
土岐あい、「ときあい」と読みます。「あい」は本名でひらがなです。
手取り17万円から在宅ワーク23年|土岐あいがチームで働くようになるまで -目次-
初めて自分でお金を稼いだのは、中学生のときでした。
雑誌の読者モニターに応募して、届いた雑誌の感想を原稿用紙4枚以上にまとめて送る。
1回4,000円。月2回なら8,000円。
本を読むのが好きだった私には、嬉しいお仕事でした。
その後は、アパレルの販売員、マクドナルド、ワインバーでアルバイト。
大学時代は週8バイトをしながら、週末はclubに踊りに行くような体力モンスターでした。
マクドナルドで担当していたのは、お客様対応の「STAR」というポジションです。
トレーを片づけ、列を整理し、必要ならレジにも入る。ドリンクを作ったり、ポテトを揚げたり、袋詰めしたり。
忙しいお店でしたが、マニュアルと教える仕組みがあって、高校生でも仕事を覚えて戦力になっていく。
今思えば、人が育って現場が回る様子を、ここで経験しました。
デザインの入り口は、ダンスイベントのチラシ
大学時代、HIPHOPサークルを立ち上げ、ダンスイベントを運営するようになりました。
そこで必要になったのが、チラシです。
PhotoshopとIllustratorを使って、文字を並べたり、色を変えたり、写真を切り抜いたり。
ドレッドヘアの髪の毛をきれいに切り抜けたときの気持ちよさは、今でも覚えています。細かいところが、きれいにできるのが楽しかったんです。
そこから独学で、文房具ECサイトの撮影や画像編集、HTMLコーディングなんかも覚えていきました。
大学3年生の就活の時期になり、私は「Webデザイナーになりたい」と思うようになりました。
当時はインターネット黎明期。まさに最先端の仕事だったのです。
4社目の面接で、ITベンチャー企業に内定し、そのままインターンで働き出しました。
新卒の同期11人の中で、Web制作の経験があったのは私だけ。
でも、配属先は受付。
女性であること、接客経験があることなどが理由でした。
誰よりも技術も経験も実績もあるのに、
作る仕事をさせてもらえない。
それは、かなり悔しかったです。
独学で覚えて、手を動かして、Webデザイナーになるつもりで入った会社でした。
接客ができることも自分の経験の一つではありますが、私がここで見てほしかったのは、そこじゃありませんでした。
このとき、「女性であることは損だ」という思いが、自分の中に残りました。
スキルや努力を見てもらえていないように感じていたんです。
でも私は、そんなことでは諦めませんでした。
受付の仕事をしながら、受付の業務フローを直したり、マニュアルを作ったり、提案を出したりしていました。
半年後、異動したのはインストラクター室。
HTML、CSS、Photoshop、Illustrator、Flash、CGI、サーバー、VRML ……。
覚えるものも、教えるものも、次々に増えていきました。
夜中に予習して、翌朝には授業。
1コマ2時間の授業を、5コマ続けて担当することもありました。
10連勤、20連勤も当たり前。
それでも、私は燃えていました。
元々体力には自信があるタイプ。2.3日寝なくても問題ありません。
やるからには成果を出したい。できないままで終わりたくない。
大変だったけれど、嫌なことしかなかったわけじゃないんです。
新しいことを覚えて、それを人に伝えて、分かってもらえる。その手応えも、確かにありました。
アンケート評価、授業デビューの速さ、担当コマ数のインストラクター評価で、異動してからずっと1位を取り続け、次の異動までその座を譲ることはありませんでした。
ここで身についたのが、難しいことを、相手が分かる言葉にして伝える力でした。当時22.3歳だった私が、30代〜50代の人たちにインターネットについて教える。
今、スタッフさんに仕事を教えるときも、AIに指示を出すときも、この経験は生かされています。
制作室に異動したら、今度はテレアポ
インストラクター室での評価が認められて、入社から1年半後ようやく制作室へ異動になりました。
「これでやっとデザインの仕事ができる!」と思ったら、今度の役割はプロデューサーでした。つまり「営業」です。
ホームページを検索して、電話をかけるところからです。
100件かけて、ようやく1件アポイントが取れる。
企画書を作って訪問し、お客様の話を聞いて、提案する。
契約が取れたら、仕様を決める。見積もりを作る。スケジュールを組む。スタッフを手配する。
制作、確認、納品、その後の運用まで担当していました。
同時に100件以上の案件を動かしていた時期もあります。
椅子を3つ並べて、会社で仮眠を取る生活でした。
営業成績ではトップになり、製作室主任にもなりました。
年上の部下たちをまとめる立場にもなりました。
その一方で、入院したり、坊主になったり、突然来なくなったり、辞めていく仲間もたくさん見送りました。
その中でも私は比較的元気に仕事を続けられていたのですが、今振り返ると、疲れた、苦しい、辛いという気持ちを、感じないようにしていたんじゃないかと思います。
感じている暇があったら、手を動かす。
そうして出してきた売上は1億円超。
一方、自分の年収は、220万円ほどでした。
自分で仕事を取って、納めるところまでやっている。
それなら、会社の看板がなくても自分でできるんじゃないか。
そう考えて、インターンから3年で会社を辞めました。
社長からは何度か引き止められ、給与を倍にするという話もありました。
でも、もう気持ちは決まっていました。
自分で取った仕事を、自分で納められる。
その自信はありました。
ただ、独立した後の生活が、しっかり準備できていたわけではありませんでした。
会社を辞めた直後から、仕事が十分にあったわけではありません。
口座にあるのは数万円。翌月の収入見込みもありません。
すぐにお金が必要で、即日払いの仕事もしました。
そんな中で、営業をかけ、Web制作の依頼をいただきました。
仕様書を作り、発注書を交わし、制作して納品する。
ところが、納品した相手と連絡が取れなくなりました。
お金も入金されません。
ネットで検索して、登記簿を取り寄せて、会社の所在地と代表者を調べ、内容証明を送り、喫茶店に呼び出して交渉しました。
当時やりとりしていた社長は飛んでしまったとのことで、後任の初めて会う男性が担当でした。多少威圧されましたが、納品物も発注書も請求書も全て揃っていましたので、こちらには何の落ち度もありません。
最後は新宿東口の交番前で、現金を受け取って領収書を渡し、一件落着となりました。
今では笑って話せますが、独立して早々、なかなか濃い経験でした。
その後、少しずつWeb制作の仕事が増えていきました。
携帯キャリア、美容機器メーカー、百貨店、出版社、キッチンメーカーなど、いろいろな業種の制作に関わりました。
大手百貨店から定期的に直接お仕事をいただくようにもなり、生活も安定していきました。
週に一度の打ち合わせ。何度も入る修正。古いシステムとの格闘。
エラーが出れば、深夜までコードを1行ずつ目で追う。
表に出るのは完成したページだけですが、その裏では、そんな仕事をしていました。
華やかな「起業」というより、ひたすら制作して、直して、納める毎日です。
確定申告に必要とのことで、開業届を出したというのが地味な私の起業ストーリーです。
私が大事にしていたのは、お客様が必要としているものを、納品できる品質で、速く形にすること。
きれいに作るのはもちろん、その先で使えることまで考える。
アーティストじゃなくて商業デザイナーの矜持。
それが現場からの叩き上げで、ずっとやってきた私の仕事です。
結婚し、法人化もして、仕事も順調。
そんなときに起きたのが、2011年の東日本大震災でした。
クライアントの工場が被災して、新商品が作れなくなる。
広告予算が止まる。部門そのものがなくなる。
予定していた制作が次々とキャンセルになりました。
自分が仕事をできる状態でも、依頼そのものがなくなることがある。
その現実に直面しました。
経営者交流会に参加してみたり、FP資格を取得して、保険の販売の仕事を始めたりもしました。
そして2013年、第一子を妊娠。
妊娠しても、できるところまで働くつもりでした。
でも、切迫流産や切迫早産で安静が必要になり、パソコンを開くことも難しくなりました。
仕事したいのに身体が動かない。
それまで、寝る時間を削ってでも仕事を終わらせてきた私には、それができないことが大きな出来事でした。
妊娠初期は自宅安静、中期には絶対安静。
後期には点滴につながれて、身体を起こすこともできない。
頑張りが足りないからじゃない。
やる気がないからでもない。
それでも、働けない。
「頑張れば何とかなる」と思って生きてきたけれど、頑張れないこともある。
頭で分かるのと、自分がその状態になるのは、全然違いました。
出産後も、保育園に空きがなく、親も遠方。
2〜3時間おきに起こされる生活の中で、家でできることを探していました。
出産直後の記憶は、正直、あまりありません。
身体は疲れ切っているのに、会社員の夫は朝早く出て、深夜終電近くに帰ってくる。慣れない育児をワンオペでこなしながら、仕事もしないといけない。
それでも、ネットで情報を集め、素材サイトを作ったり、デザイングッズを販売したり、アフィリエイトを試したり。
今の自分にできることを、手当たり次第に探していました。
ブログもLPも自分で作る。その先で、チームが必要になった
2014年春、SNSを使った集客を始めました。
ブログ、LP、スライド、申し込みフォーム、資料、撮影。
制作のスキルがあったので、あらゆるものを自分で作って、試していくことができました。
この時期に盛り上がり始めた女性起業家の波に乗って、初回相談が、4か月待ちの人気ファイナンシャルアドバイザーになった時期もあります。
すると今度は、自分だけでは対応しきれないので、チームを作り、スタッフを育てて、仕事を分けていきました。
2017年、第二子の妊娠でも、再び安静と入院が必要になりました。
仕事の予定があるからといって、身体が予定どおりに動いてくれるわけではありません。
4歳の娘がいる中での入院。
24時間点滴につながれ、両腕が腫れ、シャワーも浴びられない。
仕事どころか、自分が何を感じているのかも分からなくなっていました。
動画編集やデザインが得意な人。
言葉で商品の魅力を伝えるのがうまい人。
人を見つけて、つなぐことが得意な人。
一緒に仕事をしている人たちは、得意なことが本当に違います。
そして、得意なことがあっても、苦手なことがなくなるわけではありません。
私も、アイデアを出したり、提案したり、人の強みを見つけたりするのは得意です。
でも、細かい数字、正確なルーティン作業、誤字脱字のチェックは苦手。
23年やっていても、全部が得意な経営者にはなっていません。笑
だから、その部分が得意な人の力を借りています。
これは、きれいごとではなく、私たちが仕事を進めるために必要なことなんです。
23年間で約3億5,000万円。人に仕事を頼んできました
Web制作には、ディレクター、デザイナー、コーダー、プログラマーなど、いろいろな役割があります。
会社員の頃から、人と分担して仕事をするのは普通のことでした。
ただ、頼めば何でもうまくいくわけではありません。
品質が足りない。
途中で連絡が取れなくなる。
最後は自分で抱えて、二徹、三徹する。
そういうことも何度も経験しています。
クラウドワークスやランサーズ、リアルの交流会でも、仕事をお願いできる人を探してきました。
でも、探して、依頼して、確認して、合わなければまた探す。
これには時間もコストもかかります。
「それならもう、育てるところからやろう」
そうして2022年11月に始めたのが、在宅ワークスクール【TPS】です。
教えたい講座より、頼みたい仕事が先にあった
私たちが重視しているのは、人材をクライアントに納品できるだけのレベルまで育てることです。
講座で技術を習得しても、現場では臨機応変な確認や修正が必要になります。
ディレクターのフィードバックを受けて、直して、お客様に渡せるところまで仕上げていく。
それは座学だけで身につくものではありません。
受講生さんには、デザインや動画編集だけでなく、メール対応、日程調整、申し込み管理、経理、SNS運用などもお願いしています。
メール返信やスケジュール管理から、複数のお客様の事務サポートをするようになった方。
ページ制作や申し込み管理から、プロジェクトマネージャーになった方。
最初に任された仕事から、できることが広がっていく様子を見てきました。
受講生さん・卒業生さんへの累計約6,000万円は、その仕事への発注額です。
私が売った講座の金額ではなく、仕事をお願いして、私の会社から支払ってきた金額です。
育ってくれた人と、次の仕事も一緒にできる。
今、スクールをやっていて嬉しいのは、そこです。
2023年12月には、大和出版から、
『確実に月10万稼げる「令和の内職」 SNSサポート副業』を出版しました。
SNSを使った仕事というと、自分が発信して、フォロワーを増やして、商品を売ることを思い浮かべる方もいると思います。
でも、発信している人の後ろには、画像を作る人、文章を整える人、申し込みやお客様への連絡を管理する人がいます。
私が日々お願いしているのは、そういう仕事です。
その具体的な仕事内容や、自分の強みをどう仕事にしていくかを、本にまとめました。
もう一冊の著書が、
『SNS起業に挫折した私が、裏方サポートで月収10万円を稼げるようになった理由』です。
自撮りや発信が得意でなくても、人の仕事を支える働き方がある。
その選択肢を知ってほしいと思っています。
メディアでも、仕事や暮らしについて取り上げていただきました。
『女性セブン』2024年6月27日号では、「60代から始める得するスマホマル秘テク」。
『AERA』2024年12月16日増大号では、「はたらく夫婦カンケイ」。
『日刊スポーツ』2024年4月4日号にも掲載いただいています。
2025年1月17日には、京都テレビの『真夜中のシークレット学園』にも出演しました。
スクールで直接お話しできる人だけでなく、本やメディアを通して、こうした働き方を知ってもらう機会も増えてきました。
本を出しても、メディアに出ても、日々の現場ではメールを返したり、制作物を確認したり、スタッフさんと相談したりしています。
そこで実際にやっていることを、これからも伝えていきたいです。
最近は、AIと一緒に、自分たちが使う予約管理の仕組みも作りました。
スタッフさんが手で転記していた予約や、毎朝知らせてもらっていた情報が、自動で動くようになりました。
仕事のやり方が、目の前で変わっています。
だから、23年やっている私も、覚える側です。
新しいシステムを使う仕事をお願いすると、
「やったことがありません」
と言われることがあります。
そんなことは知っています。私もありません。
新しい技術なんだから、最初から経験者がいるわけではないんですよね。
最近は、寝る前にもう一仕事してしまいます。
寝ている間にAIに作業してもらいたいから。
自分は寝たい。
でも、AIには仕事を渡してから寝たい。
結局ちょっと寝るのが遅くなっている今日この頃です。
在宅ワークというと、デザインや動画編集を思い浮かべる方も多いと思います。でも、事務、管理、制作、チームを支える仕事など、選択肢はいろいろあります。
私たちは、実際に在宅で仕事をしている本人たちの話が聞ける、無料のオンライン勉強会を毎月開催しています。
どんな仕事があるのか。
最初は何から始めたのか。
どうやって任される仕事が増えたのか。
「私にもできる仕事があるのかな」と思った方は、都合のよい日程で参加してみてください。
\900人以上が参加した/
在宅ワーク無料勉強会はこちら
https://book.enisha.co.jp/book/benkyokai
この記事は、土岐あいのX公開記事から、仕事とチームづくりの歩みを中心に再構成しています。
元記事:https://x.com/ai_LoveYourself/status/2105140398771597626
経営者歴23年。500件以上の支援実績を持つ現役経営者。資金ゼロ・リストゼロからSNSで年商1億3,000万円を達成した経験をもとに、在宅ワーク×AI×SNSを掛け合わせた実践的な働き方を伝える。TPS(在宅ワークスクール)主宰、FEA(女性起業家支援協会・登録者約2,000名)発起人。著書「確実に月10万稼げる『令和の内職』SNSサポート副業」(大和出版)。