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正解を探し、間違えないように生きてきた。
勉強も、仕事も、結婚も、キャリアも、「より良い選択」を重ねてきたはずなのに、ある時から動けなくなる女性がいます。
私は助産師として、また女性の人生設計を支援する立場として、この現象を何度も目にしてきました。
本稿では、「正解を選び続けた女性ほど、なぜ決断できなくなるのか」という構造を、個人の弱さではなく社会設計の問題として紐解いていきます。
正解を選べてきた女性ほど苦しくなる
これまで「失敗しない選択」ができてきた女性ほど、次の一歩が重くなります。
なぜなら、成功体験が積み重なるほど「間違えられない自分」が形成されていくからです。
正解を出せる人であることが、いつの間にかアイデンティティになってしまう。
すると、迷うこと・失敗することが、自己否定と直結してしまうのです。
女性は「選択の責任」を過剰に背負わされている
女性の意思決定には、常に“結果責任”が重くのしかかります。
結婚しなかった理由、子どもを持たなかった理由、転職した理由。
そのすべてが「自己責任」として回収されやすい社会構造の中で、女性は選択に慎重にならざるを得ません。
これは合理的な判断であり、決して臆病さではないのです。
「失敗しても戻れる設計」が女性には少ない
男性のキャリアには、「やり直し」や「遠回り」が比較的許容されやすい。
一方で女性の人生は、出産年齢、介護、体調変化など、時間制約が強く、
一度の選択が不可逆になりやすい設計になっています。
戻れない選択肢が多い社会で、即断できないのは当然のことなのです。
正解主義は「情報過多」と結びつく
情報が多いほど、人は賢く決断できるわけではありません。
特に女性は、健康・キャリア・家族・老後まで含めた情報を一人で抱え込みがちです。
「まだ知らない情報があるかもしれない」という不安が、決断を先延ばしにする。
これは個人の判断力の問題ではなく、情報設計の問題です。
「納得」より「正しさ」を求めてしまう罠
本来、人生の選択に必要なのは「正解」ではなく「納得」です。
しかし多くの女性は、他人に説明できる理由、社会的に正しそうな理由を優先してしまう。
その結果、自分の感覚を後回しにし続け、選択そのものができなくなっていく。
感情を排除した合理性は、長期的には人を止めてしまいます。
本来、人生の選択に必要なのは「正解」ではなく「納得」です。 しかし多くの女性は、他人に説明できる理由、社会的に正しそうな理由を優先してしまう。 その結果、自分の感覚を後回しにし続け、選択そのものができなくなっていく。 感情を排除した合理性は、長期的には人を止めてしまいます。
動けない女性ほど、実は深く考え、責任を引き受けようとしています。
周囲からは「慎重すぎる」「優柔不断」と見えるかもしれませんが、
それは“壊れないための防衛反応”である場合がほとんどです。
問題は個人ではなく、その重さを一人に背負わせる社会です。
必要なのは「正解」ではなく「回復可能性」
これからの女性支援に必要なのは、正解を教えることではありません。
間違えても戻れる、選び直せる、やり直せるという回復可能な設計です。
選択肢の多さではなく、「失敗しても再設計できる安心感」が、決断力を育てます。
決断できないのは、真剣に生きてきた証拠
私は、決断できなくなった女性を「止まっている人」だとは思っていません。
むしろ、真剣に生き、責任を引き受けてきたからこそ、簡単に選べなくなった人たちです。
社会が変えるべきなのは、女性の覚悟ではなく、
失敗を許容し、再挑戦を前提とした人生設計の仕組みなのです。
決断できないことは、欠陥ではありません。
それは、次の設計を求めているサインなのです。
