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――“守っているつもり”が人を壊すとき
女性支援は長らく、「善意」や「共感」によって支えられてきました。
私自身、助産師として、起業家として、そして支援する側として、その現場に長く身を置いてきました。
しかし近年、はっきりと感じていることがあります。
それは、善意だけで回り続ける支援は、必ず誰かを壊すという現実です。
本稿では、「なぜ正しい支援ほど続かないのか」「なぜ支援者が消耗し、孤立していくのか」を、感情論ではなく社会設計の問題として整理し、これから必要とされる“支援のあり方の転換点”を提示します。
支援が「善意」に依存してきた理由
日本の女性支援は、制度が追いつく前に、現場の人間が穴を埋めてきた歴史があります。
行政が動けない、制度が整わない、予算が足りない。
その隙間を、専門職や当事者、志のある人たちが無償・低償で担ってきました。
これは美談として語られがちですが、構造的には非常に危うい状態です。
なぜなら、支援が「個人の善意」に依存した瞬間から、継続性も安全性も保証されなくなるからです。
「正しい人」ほど壊れやすい構造
支援の現場で最初に疲弊するのは、能力が低い人ではありません。
むしろ、責任感が強く、共感力が高く、「断れない人」です。
・困っている人を見過ごせない
・自分が動けば助かると思ってしまう
・代わりがいないと感じてしまう
この状態が続くと、支援はいつの間にか使命ではなく義務になります。
そして義務になった瞬間、支援は人を守るものではなく、人を削るものへと変わるのです。
「支援される側」だけを守る設計の限界
多くの支援制度は、「支援される側」を守る設計にはなっています。
しかし、「支援する側」を守る設計は、ほとんど存在していません。
・支援者が休む権利
・限界を申告できる仕組み
・感情労働を評価する指標
・燃え尽きた後の回復導線
これらがないままでは、支援は長期的に成立しません。
支援者が壊れれば、支援そのものが消えるからです。
共感は資源であり、消耗品でもある
近年、「共感経済」「感情知性」という言葉が注目されています。
しかし、共感は無限ではありません。
共感は資源であり、管理されなければ枯渇します。
にもかかわらず、女性支援の現場では「共感できて当たり前」「寄り添って当然」という空気が根強く残っています。
これは、共感を“タダで使えるもの”として扱ってきた結果です。
善意を制度に翻訳するという視点
これから必要なのは、「優しい人を増やすこと」ではありません。
優しさが搾取されない仕組みをつくることです。
・役割と責任の明確化
・報酬と評価の設計
・感情労働を前提とした業務分担
・撤退・終了を前提にした支援設計
善意を否定する必要はありません。
しかし、善意を制度に翻訳しない限り、支援は持続しないのです。
女性支援が「責任」になる瞬間
女性支援が本当の意味で成熟するのは、
「やりたい人がやる」段階を超え、
「社会として引き受ける」段階に入ったときです。
そのとき初めて、支援は
・属人的でなくなり
・再現性を持ち
・次世代に引き継がれるもの
になります。
支援のゴールは「自立」ではなく「安全」
これまで支援のゴールは「自立」とされてきました。
しかし私は、「安全」という言葉をあらためて置き直したいと思っています。
安心して選べること。
失敗しても戻れること。
助けを求めても関係が壊れないこと。
これらが整って初めて、人は本当の意味で自立できます。
支援を続けられる社会をつくるという選択
支援を必要とする人は、これからもいなくなりません。
だからこそ問われているのは、
「支援し続けられる社会を、どう設計するか」
という問いです。
善意に頼る社会から、責任を分かち合う社会へ。
その転換点に、私たちはすでに立っています。
支援は、感情ではなく、設計で強くなる。
私はそう確信しています。
