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医療とテクノロジーの進化は、私たちの「生き方の自由」を広げる一方で、「命の選択」という極めて繊細な問いを突きつけています。
体外受精、出生前診断、遺伝子編集、AIによる受精卵選別——これらはすでに“未来の話”ではなく、私たちが現実に直面している現在進行形の課題です。
本稿では、助産師であり社会起業家でもある私・仁蓉まよの視点から、「命を支えるテクノロジー」と「命を選ぶ倫理」の境界線について考えてみたいと思います。
医療が「命をつくる」時代に入った
体外受精の成功率が上がり、出生前診断や遺伝子解析が一般化する今、医療は「命を救う」だけでなく「命をつくる」領域に踏み込んでいます。
たとえば、アメリカや中国では受精卵の遺伝子情報をAIが解析し、発育可能性の高い胚を自動で選別する技術(Embryo Ranking by AI)が導入されています。
“命の選択”が人の手を離れ、アルゴリズムに委ねられ始めている——そんな現実が、静かに進んでいるのです。
「できること」と「していいこと」は違う
テクノロジーが進化すれば、「できること」は増えます。
しかし、医療現場でいつも感じるのは、「できる」と「していい」は別の問題だということ。
出生前診断の結果を受けて「産む・産まない」を選ぶという行為は、テクノロジーの問題ではなく、人の心と倫理の問題です。
科学は選択肢を広げるけれど、最後に決断するのは人間なのです。
命を「数値」で測る時代の怖さ
AIは胚の発育や染色体の安定性をスコア化します。
「この胚は90点」「こちらは60点」といった数値で、生命の可能性を示すのです。
しかし、“90点の命”が幸せになる保証はどこにもない。
数字で測れない“生きる力”や“愛される力”をどう扱うか——そこに、テクノロジーが踏み込めない領域が残されています。
実際に起きている「選択の葛藤」
私は助産師として、出生前診断後のカウンセリングに立ち会うことがあります。
「異常が見つかったとき、どう受け止めるか」「産むかどうかを誰と話し合うか」——
このプロセスには、涙と沈黙が多く存在します。
その中で痛感するのは、科学がどこまで進んでも、心の揺らぎはなくならないということです。
“命を守る”技術が、“命を選ぶ”技術に変わる瞬間
テクノロジーの目的は本来「命を守ること」でした。
ところが、遺伝子検査やAI診断の普及によって、いつの間にか“命を選ぶ”方向へと転換しつつあります。
たとえば、**着床前診断(PGT)**は、本来は治療の成功率を上げるための技術ですが、現実には「より健康な子どもを選ぶ」目的で使われるケースも増えています。
この“目的のすり替わり”こそが、現代医療のもっとも大きなリスクの一つです。
倫理とは、「問いを持ち続ける力」
倫理とは、何かの答えを決めることではなく、問い続けることだと私は考えています。
命をどう扱うか——それは個人の信念、家族の価値観、社会の文化、そして時代背景によっても変わります。
だからこそ、テクノロジーの進化を盲目的に受け入れるのではなく、「この選択は人として正しいか?」という問いを持ち続ける社会的成熟が求められています。
“命を支える”テクノロジーの使い方へ
テクノロジーは敵ではありません。
むしろ、それを「命を支えるため」に使う意識があれば、医療はもっとやさしく、希望のあるものになります。
たとえば、AIを使ってハイリスク妊婦を早期に発見したり、在宅医療で母子の健康を見守ったりすることもできます。
「命を選ぶため」ではなく、「命を支えるため」に使う技術」——その方向性が今、問われているのです。
命の境界を見つめることは、“人間らしさ”を取り戻すこと
テクノロジーがいくら進化しても、命の重みや愛する力は数値化できません。
だからこそ、私たちはあえてこの境界を見つめ、問い続ける必要があります。
命をどう扱うかを考えることは、「人としてどう生きたいか」を考えることにほかならないのです。
そしてその問いこそが、AIやテクノロジーの時代において、「最も人間らしい行為」なのだと私は信じています。
