土岐
今回のインタビューでは、起業のきっかけから佳菜さんのことを教えてください。
渡辺
起業のきっかけは、人生に絶望したことが大きかったです。
子供が生後半年の時に起業して、当時は意気込んで事業を計画して大きなことをするというよりも、「人生を変えたい」というところからスタートしたんです。
やっぱり子供が生まれて働く時間も限られるし、住む場所も限られてくる。
独身時代から考えると、自由や選べる選択肢が少なくなってくるんです。
娘を出産したのが30歳になる年だったのですが、その時点で自分が50、60歳になった時に「こんな暮らしをしているな」という展望が見えてしまったというか。
当時はどこからか収入を増やす選択肢がなかったので、会社のお給料が年間どのくらいかわかっています。夫は公務員なので、生涯年収もわかりやすく決まっている働き方をしていると、「収入=生活で選べる選択肢」です。
旅行、食事、子供の教育など、収入の中である程度選択がわかってきます。
人生100年時代と言われていて、女性の平均年齢は87歳。
あと50年以上時間があるのに、自分の人生が見えた時に「こんなものでいいのかな?」と絶望を感じて衝撃を受けました。
まずは収入を増やしたい、人生を変えたいというきっかけから、副業になり、起業になりました。
土岐
そうだったのですね。元々のお仕事は何をされていましたか?
渡辺
元々は専門職をしていて、仕事は色々していました。
専門学校を卒業して、アパレル販売を都内でしていました。
都内の環境が体に合わなくなり、地元の山梨に帰ってきましたが、アパレルでは働く場所がなかったんです。
専門学校で介護福祉士の免許を持っていたので、介護の仕事に就職しました。
そこから夫と出会って、夫の両親が会社を経営していたので結婚と同時に介護を退職してそこの事務員を手伝っていました。
当時は自分が会社の経営者になることは全く考えておらず、身内であれば子育てを優先する働き方ができるというメリットを感じていました。
私は副業から起業して自分の事業が成立した時に、夫の両親から会社を継ぐことを決めました。それが小売業のファンシー雑貨店です。
土岐
自分ビジネスの情報商材の起業と、ファンシー雑貨店と、両立されているのですね。
渡辺
そうなんです。自分から0→1にする経験を積んできたので、やればできるという自信がついたんですよね。
夫の両親の会社は、今期33期のファンシー雑貨店で、地元のお客さまがついている会社です。
会社を継ぐ話になった時に、ゼロイチの経験があったので、すぐに「はい」ということができました。
経験がなければ、怖くてできなかったと思います。全ての裁量権を自分が持つという覚悟ができました。
私は元々は何もない人で、特別なスキルや学歴、才能や技術が全くなかったので、そんな私にできることは、実績のある人が作った商品を売ってみるということでした。「セールス」ですね。
事業主として、自分の商品をよく見せて多くの人に提供していくというマーケティングを学べました。
土岐
いいですね。その経験が生かされているのですね。
渡辺
副業、起業初期は、物量とPDCAをとにかく何度も何度も成功するまで回していくのが大事です。
今のSNSを見ると、「簡単にできます、実働3日で100万円を超えます」みたいなフレーズが多いんです。
確かにそういう面もあるかもしれないけれど、そういう状態のものを最初に学んでいる人には継続性はない。一瞬は花火のようにうまくいくかもしれないけれど、努力して自分を磨き続ける部分が続かないのかなと教える側に立って感じました。
最初にどれだけPDCAを回させてくれる人と出会えるかは大切だと思います。
土岐
テクニックだけではなく、基礎体力や先々への積み上げが大事ですね。