ギール
今日は、いつもFEAに多大な応援をいただいております、株式会社スリーエイトの飯田雄治さんにインタビューをしていこうと思います。よろしくお願いします。
まずはじめに、飯田さんの自己紹介をお願いできますか?
飯田
飯田雄治と申します。埼玉県在住で、株式会社スリーエイトで営業企画の責任者をしております。
ギール
営業企画はどんなことをされるんですか?
飯田
イベント業とオリジナルグッズの製造販売をしています。
ギール
オリジナルグッズの製造販売について、もう少し具体的に教えてもらえますか?
飯田
服飾の中のバッグ、ポーチ、小物といった雑貨の部類を一番の主力としています。
ギール
なるほど。それは実店舗で販売されているということですよね。
飯田
実店舗であったり、イベント・催事、期間限定のショップ、ショッピングモールのセンターコート、駅など、様々な場所で雑貨の販売をしています。
ギール
今のお仕事はどのぐらいやっているのですか?
飯田
製造に関わるようになって15年ぐらいです。
ギール
そこに関わる前はどんなお仕事をされていたんですか?
飯田
アパレル関係の小売業が中心で、東京や埼玉でセレクトショップの店舗展開をずっとやっていました。
ギール
それは服飾ですか?
飯田
そうですね。洋服が中心です。もともとデニムが好きだったので、デニムを中心とした、俗に言う「アメカジ」の洋服を扱っていました。
ギール
それをしようと思った一番初めのきっかけは何だったのですか?
飯田
ジーパン屋でアルバイトを始めたのが41年前。そこからずっと、デニムが好き、ジーパンが好き、コットンが好きというところがあって、そこが僕のルーツなのかもしれないですね。
ギール
41年前というと80年代半ばぐらいですかね。当時はDCブランドがすごく流行っていて、その頃私は中学生だったので買うことはできませんでしたが、毎日ファッションビルに見に行っていた記憶があります。そういうときに、飯田さんは東京のど真ん中でファッションに関わっていらしたんですね。
飯田
そうですね。30年〜35年ぐらい前は海外生産がスタートした頃で、韓国ブランドが入ってきたり、国産よりも安くて可愛いものがいっぱい入ってきたり。あとは、買い付けというのがブームになった時代だと思うんですね。韓国の市場で買い付けたものを日本で展開するというのが流行り始めた頃ですね。
起業したブランドが一躍脚光を浴びるというような、今までにないようなアパレルバブルの時代だったと思います。
ギール
たしかに、今そのようなブランドはあまり聞かないですよね。
飯田
各々のデザイナーの強い思いが社会現象を起こしたという時代ですから。
本当に楽しい時代でしたね。