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私は長く、「支援する側」に立ってきました。
助産師として、医療者として、女性支援者として、そして事業をつくる立場として。
それは使命感だけで説明できるものではありませんし、「優しさ」や「善意」という言葉で片づけられるものでもありません。
この記事では、私自身がなぜ一貫して“支援する側”に立ち続けてきたのか、
そしてその選択が、どんな責任と問いを私に突きつけてきたのかを、率直に言葉にしてみたいと思います。
命の現場が教えた「選べない人」の存在
助産師として最初に向き合ったのは、「努力」や「自己責任」ではどうにもならない現実でした。
生まれ方、育った環境、健康状態、家族関係。
人生の初期条件は、あまりにも不平等です。
どれだけ情報を与えても、どれだけ意欲があっても、
「選ぶ余地すら与えられていない人」が確実に存在する。
その事実を、私は現場で何度も突きつけられました。
「強い女性」ではいられなかった私自身
支援する側に立つ理由は、実はとても個人的なものでもあります。
私自身が、常に「強い女性」でいられたわけではありません。
迷い、揺れ、判断を誤り、立ち止まることもありました。
だからこそ、「自分で立てない人」を下から見ることができなかった。
支援は、上下関係ではなく、横並びの視点でしか成り立たないと感じてきたのです。
「助ける」よりも「選べる状態をつくる」
私が目指してきた支援は、救済ではありません。
誰かを“助け続ける”ことでもありません。
大切にしてきたのは、
「この人が、自分で選べる状態に戻れるかどうか」。
支援とは、本来一時的なものです。
依存を生まない支援、役割を固定しない支援。
その設計に、私はずっとこだわってきました。
支援は、感情ではなく設計が要る
支援の世界には、「いい人」であることが評価されがちです。
しかし、感情だけで動く支援は、時に人を追い詰めます。
・誰が決定権を持つのか
・どこで責任を切り分けるのか
・終わりはどこなのか
これを曖昧にしたままの支援は、必ず歪みます。
だから私は、感情よりも設計を重視してきました。
「支援する側」は、実は孤独になりやすい
支援する側は、強く見られがちです。
「余裕がある人」「与える人」「立派な人」。
けれど実際には、
弱音を吐く場所がなく、頼る先も限られていく。
支援者が疲弊し、倒れていく構造も、私は何度も見てきました。
だから最近は、
「支援する側も、守られる仕組みが必要だ」
と、はっきり言葉にするようになりました。
それでも立ち続けた理由は「構造」だった
それでも私がこの立場を選び続けてきたのは、
個々の感情ではなく、「社会の構造」を変えたいと思ったからです。
一人を救うことより、
“救われにくい構造”を減らしたい。
支援を、善意ではなく、社会のインフラにする。
その視点に立てる場所が、私にとって「支援する側」でした。
引き受けないと決めたこともある
誤解されがちですが、私は「何でも引き受ける支援者」ではありません。
引き受けないと決めたものも、たくさんあります。
・感情の丸投げ
・責任のすり替え
・変わる意思のない依存
境界線を引くことは、冷たさではありません。
長く続く支援には、むしろ不可欠な条件です。
「支援する側」を降りる選択も、支援である
最近、私はこうも思うようになりました。
「いつか、この立場を降りることも、支援なのではないか」と。
誰かが私の代わりに立てるようになること。
仕組みが人を支えるようになること。
それが実現したとき、
私は安心して「支援する側」から降りられるでしょう。
支援とは、永遠に前に立つことではありません。
“いなくなっても回る社会”をつくること。
私は、そのために支援する側に立ち続けてきたのだと思います。
