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支援の現場に長く身を置いていると、必ず直面する違和感があります。
それは、「支援者が休むこと」に対する、社会の目の厳しさです。
体調不良や疲労、心の限界を理由に一歩引こうとすると、「使命感が足りない」「覚悟が足りない」といった空気が漂う。
私は助産師として、また女性支援や福祉、社会起業に関わる中で、この構造を何度も見てきました。
本稿では、なぜ支援者が休むことが許されにくいのか、その背景にある社会構造を言語化していきます。
「善意」は消耗品として扱われやすい
支援は多くの場合、「善意」や「情熱」から始まります。
しかし、この善意は資源として扱われず、無限に供給されるものとして期待されがちです。
とくに女性支援やケア領域では、「あなたならできるでしょう」「向いているでしょう」という言葉が、無自覚な過重労働を正当化してしまう。
善意は尊いものですが、消耗品ではありません。
「ケア=無償」という思い込み
ケアや支援は、いまだに「無償性」と結びつけて語られやすい分野です。
感情労働や共感、気配りは“仕事”としてカウントされにくく、休む権利も曖昧にされてしまう。
その結果、支援者が疲弊しても「それは仕事のうち」「覚悟の問題」と処理されてしまうのです。
「支援者=強い人」という幻想
支援する立場にいる人は、「強い」「余裕がある」「安定している」と見なされがちです。
しかし実際には、誰よりも多くの感情や葛藤を引き受けています。
強く見えることと、傷つかないことは別です。
この混同が、支援者の休息を奪っていきます。
責任感の強さが、休むことを難しくする
支援者ほど、「自分が休んだら誰が困るか」を具体的に想像してしまいます。
利用者、現場、仲間、社会全体。
その想像力の高さこそが、支援者の資質であり、同時に自分を追い詰める要因にもなります。
休むことが「無責任」に感じてしまう構造が、内面に組み込まれているのです。
制度は“支援を受ける側”しか想定していない
多くの支援制度は、「支援される人」を守る設計になっています。
一方で、支援する人を支える仕組みは驚くほど少ない。
相談窓口、休養制度、感情ケア、代替体制——
支援者が倒れない前提で社会が回っていること自体が、大きなリスクです。
「休む=逃げ」という文化的刷り込み
日本社会には、「休むこと=逃げ」「踏ん張ること=美徳」という価値観が根強く残っています。
とくに使命性の高い仕事ほど、この刷り込みは強化されます。
しかし本来、休むことは撤退ではなく、持続のための戦略です。
支援者が休めない社会は、長く持たない
支援者が燃え尽き、現場を去り、声を失っていく。
その結果、支援そのものが縮小し、最終的に困るのは社会全体です。
支援者の休息は、個人の問題ではなく、社会インフラの問題なのです。
休むことを「責任ある行為」に再定義する
支援者が休むことは、弱さではありません。
むしろ、自分の限界を把握し、役割を持続させるための高度な判断です。
私たちは、「支援者が休める社会」へと価値観を更新する必要があります。
それは支援を軽くすることではなく、支援を長く、強くするための再設計なのです。
