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女性のキャリアやリーダーシップについて語られるとき、「もっと意思決定の場に女性を」という言葉は、すでに当たり前のように使われています。
けれど私は、助産師として、また事業や組織を運営する立場として、ひとつの違和感を抱き続けてきました。
それは、女性が“決断する側”に立ったときに支払っている感情的・社会的コストが、ほとんど言語化されていないという事実です。
この記事では、「決断する女性」に静かにのしかかっている負担と、それを社会設計としてどう捉え直すべきかを考えます。
「決める立場」になる瞬間に起きる変化
現場で判断を下す立場に立った女性は、急に評価軸が変わります。
共感的であること、配慮ができることは評価されなくなり、「結果を出せ」「合理的であれ」と求められる。
同時に、少しでも強い判断をすると「冷たい」「女性らしくない」と言われる。
この二重基準こそが、女性の決断を疲弊させる最初の壁です。
合意形成を担わされる“感情労働”
意思決定の場で、実は多くの女性が担っているのは「決断」そのもの以上に、
その前後に発生する感情の調整です。
反対意見をなだめ、空気を読み、衝突を回避し、全員が納得した“体”を整える。
この作業は業務評価には残らず、しかし失敗すれば責任だけが残る。
これが、女性決断者の消耗の正体です。
「決断=孤独」になりやすい構造
女性が決断者になるほど、相談相手は減っていきます。
弱音を吐けば「向いていない」と言われ、
慎重になれば「リーダーシップがない」と評される。
結果として、多くの女性が孤独な自己責任の中で決断を抱え込む構造が生まれています。
なぜこのコストは“見えない”のか
理由は明確です。
感情調整・関係維持・空気管理といった行為は、
これまで「女性が自然にやるもの」とされてきたからです。
無償で、評価されず、数値化されない。
だから制度設計の議論から、いつもこぼれ落ちてしまうのです。
決断の質は、環境で決まる
決断力は個人の資質ではありません。
情報の透明性、相談できる仕組み、責任の分散、感情を扱う言語。
これらが整って初めて、健全な意思決定が可能になります。
女性に「もっと決断せよ」と求める前に、
決断しても壊れない環境を用意することが先なのです。
“強い女性”神話の終わり
我慢できる人、耐えられる人をリーダーに据える時代は終わりました。
これから必要なのは、
迷いを言語化できること、助けを求められること、判断を共有できること。
それは弱さではなく、高度な意思決定スキルです。
女性が決断を引き受け続ける社会の限界
女性だけが感情コストを背負い続ける社会では、
優秀な人ほど前線から離れていきます。
それは個人の損失ではなく、社会全体の意思決定力の低下です。
今、問われているのは「女性を増やすか」ではなく、
決断の構造をどう再設計するかなのです。
決断を“個人の勇気”にしないために
女性が安心して決断できる社会とは、
失敗が共有され、責任が分散され、感情が尊重される社会です。
決断とは、孤独な行為ではなく、本来は共同作業であるはずです。
女性が決断者になることは、ゴールではありません。
その決断が、持続可能で、健やかで、次につながるものであるか。
そこまで含めて、初めて「社会の成熟」なのだと、私は考えています。
